野々村竜太郎
野々村竜太郎(ののむらりゅうたろう、1966年7月29日 - )は、日本の政治家。兵庫県議会議員(1期)、西宮維新の会代表。
概要
兵庫県川西市の職員であったが、政治家を志す。地域政党である西宮維新の会を旗揚げし、その代表に就任した。兵庫県議会議員選挙にて当選を果たし、兵庫県の県政に参画した。なお、西宮維新の会は、名称が似ているものの、大阪維新の会や日本維新の会とは全く関係がない。
来歴
1966年生まれ。大阪府立北野高等学校を卒業し、関西大学に進学した。関西大学では法学部の法律学科に在籍した。なお、後年、関西大学の卒業生らで組織された「兵庫県庁秀麗会」の顧問に就任している。
関西大学を卒業すると、兵庫県川西市の職員として採用された。以来、地方公務員として勤務を続け、川西市役所の総務部にて、契約管財課や資産税課、防災安全課に勤務した。なお、防災安全課に配属された際は、川西市消防本部の総務課にも併任された。また、川西市選挙管理委員会の事務局にも勤務した。そのほか、川西市立多田東小学校や川西市立東谷中学校の職員としても勤務した。
その後、川西市を退職し、政治の道を志した。退職後は、宅地建物取引主任者として生計を立てた。
政治家として
地域政党として西宮維新の会を旗揚げし、自らがその初代代表に就いた。そして、兵庫県議会議員選挙への挑戦を表明した。そして、野々村自身は、自宅のある西宮市選挙区から立候補することを明らかにした。公約として、兵庫県の公立高等学校の進学率と就職率の向上などを掲げ、2011年4月、兵庫県議会議員選挙にて当選を果たした。
兵庫県議会では、総務委員会などに属した。会派には所属せず、無所属として活動した。2014年6月11日の兵庫県議会議長選挙においては、1票を獲得したものの、82票を獲得した梶谷忠修に敗れた。また、同日行われた兵庫県議会副議長選挙においては、1票を獲得したものの、47票を獲得した松本隆弘に敗れた。
政策
「ワン西宮」
「ワン西宮」と称し、西宮市の北部地域と南部地域の一体的な発展を訴えている。具体的には、国道176号や阪神本線甲子園駅、名神湾岸連絡線といった交通インフラストラクチャーの整備を主張している。
「私たち西宮市民の最後の希望」
自ら「私たち西宮市民の最後の希望」と称し、クリーンな政治の実現を訴えている。具体的には、不正経理は絶対に許さず、徹底的に追及すべきだと主張している。また、行政改革を推進し、財政支出の縮減を図るとした。さらに、議員報酬の半減を掲げており、この案に反対する兵庫県議会議員の実名と反対する理由を全面的に公開せよと訴えている。
騒動
政務活動費から交通費名目で300万円超を支出
2013年度の政務活動費として300万円以上を支出しており、その理由として兵庫県豊岡市、佐用郡佐用町、東京都、福岡県福岡市の4ヶ所を日帰りで195回訪問し、往復切符代が300万円以上に達したためと主張し、物議を醸した。
2013年度の収支報告書によれば、「要請陳情等活動費」として301万5160円を計上しており、全額を交通費として使用したとされている。具体的には、自宅最寄駅である阪神武庫川線武庫川団地前駅から、JR山陰本線城崎温泉駅に106回、JR姫新線/智頭急行智頭線佐用駅に62回、博多駅に16回、東京都に11回訪問し、その往復切符代に充当したとされていた。なお、4ヶ所を訪問した日については、全て議会登庁日以外の日となっていた。
発言
政務調査費の使途についての会見
2014年、前年度の政務調査費として約300万円を支出していたことが発覚し、同年7月1日に記者会見を開いた。しかし、会見中に感情的になり、涙ながらに語る異例の記者会見となった。会見では「誰ガデー! ダデニ投票シデモ! オンナジオンナジヤオモデェー!」「ンァッ! ハッハッハッハー! この日本ンフンフンッハアアアアアアアアアアァン! アゥッアゥオゥウアアアアアアアアアアアアアアーゥアン! コノヒホンァゥァゥ……アー! 世の中を……ウッ……ガエダイ!」と述べ、選挙での投票により日本の世の中を変えたいとの思いを語るなど、政治に対する志を涙ながらに主張した。また、高齢化問題についても「高齢者問題はぁ……グズッ……我が県のみンドゥッハッハッハッハッハアアアアァァ! 我が県のみンゥッハー! グズッ我が県のみならずぅう! 西宮……日本人の問題やないですかぁ……命がけでッヘッヘエエェエェエエイ! アァアン! アダダニハワカラナイデショウネエ……」と述べ、高齢化問題は県だけでなく国全体での取り組みが必要と指摘するとともに、この問題に対する意気込みを涙ながらに主張した。なお、追求されていた政務費不正に関する回答は無かった。
- 最終更新:2014-07-02 17:32:06